大宰府で詠まれた「令和」
730年の正月の13日、歌人で武人の大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅(大宰府)に集まって梅花の宴の様子を綴ったものでした。
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(現代語訳とともに見てみましょう)
時は初春のよい月、
空気は美しく、
風は和やかで、
梅は鏡の前の美人が
白粉(おしろい)で
装うように花咲き、
蘭は
身を飾る衣にまとう
香のように薫らせる。
ときに、
初春の令月(れいげつ)にして、
気淑(きよ)く
風和(やわ)らぎ、
梅は
鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を
披(ひら)き、
蘭(らん)は
珮後(はいご)の香(こう)を
薫(かおら)す。
折しも、
初春の佳き月で、
空気は清く澄みわたり、
風はやわらかく
そよいでいる。
「令和」には
人々が美しく心寄せ合う中で
文化は花開くという意味が込められ
“ 希望に満ちあふれた、
新しい時代を切り開いていく若い世代が
活躍できる時代であってほしい。
若者がそれぞれの花を咲かせることのできる
日本をつくりたい ”
という願いの元、新元号となりました。
この万葉集の前後はこの様な文に
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《まずは現代語訳》
梅は佳人の鏡前の白粉のように咲いているし、
蘭は貴人の飾り袋の香にように匂っている。
そればかりか、
明け方の山の峰には雲が行き来して、
松は雲の薄絹をまとって蓋を
さしかけたようであり、
夕方の山洞には霧が湧き起こり、
鳥は霧の帳に閉じこめられながら
林に飛び交っている。
庭には春に生まれた蝶がひらひら舞い、
空には秋に来た雁が帰って行く。
そこで一同、
天を屋根とし、
地を座席とし、
膝を近づけて盃をめぐらせる。
一
座の者みな恍惚として言を忘れ、
雲霞の彼方に向かって、
胸襟を開く。
心は淡々としてただ自在、
思いは快然としてただ満ち足りている。
ああ文筆によるのでなければ、
どうしてこの心を述べ尽くすことができよう。
漢詩にも落梅の作がある。
昔も今も何の違いがあろうぞ。
さあ、この園梅を題として、
しばし倭の歌を詠むがよい。
《それでは原文を》
天平二年の正月の十三日に、
師老の宅に萃まりて、宴会を申ぶ。
しかのみにあらず、
曙の嶺に雲移り、
松は羅を掛けて蓋を傾く、
夕の岫に霧結び、
鳥はうすものに封ぢらえて林に迷ふ。
庭には舞ふ新蝶あり、
空には帰る故雁あり。
ここに、
天を蓋にし地を坐にし、
膝を促け觴を飛ばす。
言を一室の裏に忘れ、
衿を煙霞の外に開く。
淡然自ら放し、
快然自ら足る。
もし翰苑にあらずは、
何をもちてか情を述べむ。
詩に落梅の篇を紀す、
古今それ何ぞ異ならむ。
よろしく園梅を賦して、
いささかに短詠を成すべし。
大宰府で詠まれた梅花の詩が
1000年以上も経つ中で、
現代の私たちに
メッセージを送っている様です。
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