大宰府で詠まれた「令和」

2019年09月03日

730年の正月の13日、歌人で武人の大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅(大宰府)に集まって梅花の宴の様子を綴ったものでした。

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(現代語訳とともに見てみましょう)

時は初春のよい月、

空気は美しく、

風はやかで、

梅は鏡の前の美人が

白粉(おしろい)で

装うように花咲き、

蘭は

身を飾る衣にまとう

香のように薫らせる。


ときに、

初春の月(れいげつ)にして、

気淑(きよ)く

風和(やわ)らぎ、

梅は

鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を

披(ひら)き、

蘭(らん)は

珮後(はいご)の香(こう)を

薫(かおら)す。

折しも、

初春の佳き月で、

空気は清く澄みわたり、

風はやわらかく

そよいでいる。

「令和」には

人々が美しく心寄せ合う中で

文化は花開くという意味が込められ

 希望に満ちあふれた、

新しい時代を切り開いていく若い世代が

活躍できる時代であってほしい。

 若者がそれぞれの花を咲かせることのできる

日本をつくりたい 

という願いの元、新元号となりました。


この万葉集の前後はこの様な文に

《まずは現代語訳》

梅は佳人の鏡前の白粉のように咲いているし、

蘭は貴人の飾り袋の香にように匂っている。

そればかりか、

明け方の山の峰には雲が行き来して、

松は雲の薄絹をまとって蓋を

さしかけたようであり、

夕方の山洞には霧が湧き起こり、

鳥は霧の帳に閉じこめられながら

林に飛び交っている。

庭には春に生まれた蝶がひらひら舞い、

空には秋に来た雁が帰って行く。

そこで一同、

天を屋根とし、

地を座席とし、

膝を近づけて盃をめぐらせる。


座の者みな恍惚として言を忘れ、

雲霞の彼方に向かって、

胸襟を開く。

心は淡々としてただ自在、

思いは快然としてただ満ち足りている。

ああ文筆によるのでなければ、

どうしてこの心を述べ尽くすことができよう。

漢詩にも落梅の作がある。

昔も今も何の違いがあろうぞ。

さあ、この園梅を題として、

しばし倭の歌を詠むがよい。


《それでは原文を》

天平二年の正月の十三日に、

師老の宅に萃まりて、宴会を申ぶ。

しかのみにあらず、

曙の嶺に雲移り、

松は羅を掛けて蓋を傾く、

夕の岫に霧結び、

鳥はうすものに封ぢらえて林に迷ふ。

庭には舞ふ新蝶あり、

空には帰る故雁あり。

ここに、

天を蓋にし地を坐にし、

膝を促け觴を飛ばす。

言を一室の裏に忘れ、

衿を煙霞の外に開く。

淡然自ら放し、

快然自ら足る。

もし翰苑にあらずは、

何をもちてか情を述べむ。

詩に落梅の篇を紀す、

古今それ何ぞ異ならむ。

よろしく園梅を賦して、

いささかに短詠を成すべし。


大宰府で詠まれた梅花の詩が

1000年以上も経つ中で、

現代の私たちに

メッセージを送っている様です。
























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